ふづきです。
よく嫁のさつきと口論になります。
それは、きっと、些細なことがきっかけなんだろうと思いますが、辿り着くところは「何で私と結婚したの?」と言われるところ。
何でだろう、自分はそんなことをしたんだろうか。だとしたら、何がそう思わせたんだろうか、いつもと同じ仕事をして、さつきのためにとその一心で働く意思は、伝わるどころか、嫌みを言われる始末。
自分は、おかしいのだろう。
さつきは、どんな職場に転職しようとも、すぐに戦力となり、認められ、スカウトをされる。
その功績は、自分がよく知っている。
その魅力を自分は一番よく知っている。
その後ろ姿に、とてつもないオーラを感じ、一目惚れをし、自分からアプローチしたのだから。
それに代わり、自分と言ったら、人の顔色を窺い、言いたいことも言えず、不満ばかりを溜め、人に八つ当たりをする。
自分の実力のなさを知ってると言いながら、端から見たら自分の器以上のことをしようとして足掻いている、ただの馬鹿なんだと思う。
そんな自分でも、幸せとはなにか、それは本当に幸せかを気付き、知ることができる。
これが幸せなんだ、私はこれで良いんだ、
と、枠に嵌めて幸せを決めつけているさつきを、どうしても納得できず、自分ならもっとさつきを幸せにできると確信があり、無理だとわかりつつも強引にアプローチをしたのだから。
今、自分の思いを伝えきれず、自分がさつきを裏切った事実や傷だけが浮き彫りとなり、更には日常のひとつからさつきに嫌な思いをさせている現実に立たされている。
わかってほしい。
それだけなのに、それすら伝わらない。
一度、二度、三度と嫌なことをした人間は、信用をなくすのだろう。
そんな人間の嘆き、苦しみ、そんなものはいくら良い言葉で、本物の気持ちで表現したとしても、ただのメッキとして扱われ、崩れていくだけなのだろうか。
こんな時、
自分は、死刑を受けるような罪人と同じ立場なのかなと、本気で思う。
決して許されることのない、思いの伝わらない無限ループに陥る。
本当に怖いのは、自分自身だと言うことを知っているから。
自分はおかしい人間だと思えば思うほど、自分は反省と悔やみを省みるのだか、それによって更にさつきに嫌な思いをさせることになる。
そう、
価値観が違う
合わない
と言われると言うこと。
ただ、知っていることがもうひとつ。
わかっていることは、
ふづきが苦しいときは、さつきも苦しいときだと言うこと。
一緒にいるということは、
苦楽を共にするということ。
故意に、苦にしていることなんてないことは言うまでもないことだが、善いことよりも悪いことの方が何倍もインパクトがあり、残りやすく、消えにくい。
苦を楽にするためには、何倍もの、楽を共にしていく必要があると言うこと。
幸せを約束した自分には、その覚悟がある。
だから、一生をかけて、さつきの一生を幸せにすると誓う。
この思いを胸に。
今までも、
これからも。