徒然たびたび夫婦旅

温泉、ドライブ、プチ旅行~夫婦二人で気ままにお出かけ日記!

近所の焼き肉屋から、人と人との『つながり』を考える~嫁と新たな日常~【生活 思い】

ふづきです。





今、自分の出来ることは何なのか。

漠然と、思うときがあります。

それは、自分が恵まれているからそう思うのか。

助けたいと思う気持ちがそうさせるのか。

そこには、弱者と強者は存在するのか。

ふと、考えるときがあります。



では、自分がしてあげたいことはどうなのか。

そう思う気持ちには、優劣が関係するのか。

情や利益が絡むことなのか。

果たして、自分よがりなのか。

これからを生き抜いていく上で必要なことは、

知識や体力、経済力以外で何があるのか。

考えさせられる日常を送りました。





守るとは



緊急事態宣言が解除され、外出自粛から3密(密集・密接・密閉)を避け、人と接するような場面ではマスク着用、手洗いうがい、除菌を今まで以上に意識する生活スタイルに移行しました。うつしてしまうこと、うつされてしまうことを異常に恐れてしまうような、過剰な防衛意識に駆られ、大切な人を守ることの意義を履き違えてしまいそうになってしまう。守るとは何なのか。うつさない=守る、とは真実なのか。わからなくなるときもありました。何よりも、失ってからでは遅いと、そればかりが先行して頭を過ぎっていたのも紛れもない事実ですから。



失恋の治療薬のように、時は黙々と自分に『慣れ』を憶えさせます。痛いものが痛いはずなのに当たり前になり、日常となる。これも一種の自然治癒力なんでしょうか。感覚麻痺という言葉の方が近いのかもしれません。人が人として生きていくには、必要な能力のひとつなんでしょう。ウイルスへの恐怖、それが日常となること。



悶々とする自分を、いつも救ってくれるのは嫁のさつき

闇を切り抜けようともがけばもがくほど、ドツボにハマる。詰将棋のような一手を決めるのが得意なようで、気付けば隣にいた金将に王手を阻止されたと、恥ずかしながら周りが見えなくなる悪い癖が抜けきっていない様子。嫁の姿を見て、我が身を直せ、ですね。




焼き肉屋のおばちゃん


さつき「焼肉食べたい!焼肉!焼肉!」

ふづき「久々に食べに行ってみようか!やってるかな。」



ひとつの言葉で、暗闇から日常へ戻れるってある種、特技ですよね。嫁は魔法使いか何かでしょうか?



歩いてものの数分。行きつけの焼き肉屋がそこにはあります。

以前は、家族みんなで、時には仲間たちとお世話になったお店。

たまに駐車場で車のメンテをしていると、焼き肉屋のおばちゃんが路駐をして買い物へ出掛けるのを目にしたり、おじちゃんが自転車で買い物に出掛けたりする光景に出逢います。「今日、焼き肉屋の人を見かけたよ!」「路駐してたけど、元気そうだったよ!」などと、嫁に話をしたりしていたほど。お店以外ではあまり言葉は交わさないけれど、その元気な姿を見ると「元気そうで良かった」「まだお店はやってそう」と、なぜだか安堵する自分がいました。



ついこの間、嫁のさつきが焼き肉屋のおばちゃんと偶然出くわした際、



さつき「おばちゃん、こんにちわ!」

おばちゃん「あー、あのお店、高級なんでしょ?いいわねぇ~。」

さつき「ん…?お店やってないですよ!前に大勢で行った…」

おばちゃん「あー、そうだったわね!ごめんね!間違えちゃって!マスクしてたからわからなかったわ!そうそう、あなたに良く似てたのよ!」



と、他愛のない言葉を交わすだけでも、他人なはずなのに他人じゃないような、つながりを感じたりします。覚えられていたのか勘違いされているのかは別として、近所の人、お店の人とお客のひとり、大まかに言えば同じ地域に住む人というカテゴリーに括られる。そこに、会話や思いを付け加えると、距離感が変わってくる気がします。




もし、自分だったら…



嫁が焼き肉を食べたい気持ちは、自粛と自分という束縛?を耐え切った思いから、前々から連れて行ってあげたいと思っていました。「今度食べに来てね」という明るい言葉を貰っていたので、是が非とも食べに行きましょうと、自粛明けに足を運びました。

以前お邪魔したときにもいた常連さんひとり、おばちゃんとおじちゃん、嫁と自分の5人。決して広くはない店内は、相変わらず何だか落ち着かせる雰囲気。この久々感に、お店がやっていて良かったという安心感と、ふたりとも元気そうで良かったという安堵感。それだけで来て良かったと思える充実感。来て早々に満足感を味わいました。



おばちゃん「あら!来てくれてありがとね!もうお客さん来ないと思ってたところ。いつも来てくれてたご夫婦も、ぱったり来なくなっちゃってね。良いお客さんだったんだけどね…。」

さつき「ここのお肉は他よりも美味しいですよ!ね?」

ふづき「うん!ここが近所でホント良かったですよ!」

おばちゃん「本当?ありがとね!私も美味しいと思う!笑」



店内は、入り口に除菌スプレーが置かれ、ドアは開放、厨房とカウンターの間に仕切りのビニールが貼られていた。



おばちゃん「こうしないと、嫌がる人もいるからさ。」



本当は、こんなことをしたくないという、今までの日常を垣間見るような気持ちが隠れ見える。優しさと日常、そして現実を受け入れるということは、こういうことなんだろうと、その表情と言葉から感じ取れた。



おばちゃん「○○さん、何か飲む?」

常連さん「いや、もう大丈夫。そろそろ帰るから。それにしても、あんたらはいいな!俺は独り身だから!前までいたんだけどな!ははは!」



自粛開けまでお店を休んでいたようだが、自粛開けたらお店をやらないとやっていけない、だけどお客さんは前のように来てはくれないと言う。この常連さんは、お店が閉まっている間、何を思って過ごしていたんだろう。もし、そのまま閉業でもしてしまったら、どうしていたんだろう。単純に、他のお店に…となるんだろうか。

人様の生活に口を挟むつもりはないが、もし自分だったらと考えると、ウイルスの恐怖よりも先に、虚しさと寂しさに襲われるかもしれない、そう感じた。



常連さん「じゃあ帰るよ!」

おばちゃん「はいよ!また来てね!」



また来てね。その言葉の意味が、今はとても重く、胸に響くのはなぜだろうか。



距離と言葉



以前のように、嫁と大好物の『タン』と『カルビ』、『ロース』を2人前、自分はライス、嫁はクッパ。スーパーマ〇オではないが、旨さは大魔王級だ。

もちろん、ビールで静かに乾杯。

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久々の生ビールの味は感慨深いものがありました。


距離を置いて、おばちゃんやおじちゃんとの会話をする。あそこの焼き肉は美味しいやら、まだそこは行ったことないやら、前に行ったお店が閉店してたやら…。以前と何にも変わらない時間。違和感を覚えるのは、そこにある距離感。その距離を一瞬で縮める言葉を、厨房からおじちゃんが放ちました。



おじちゃん「これで、1週間、お店を開けられるよ。」



笑いながら、けれど寂しそうに、さらっと放った言葉は、キンキンに冷えたビールよりも冷たく、けれど、肉を焦がすほどの火力にも劣らずの熱量を感じました。



久々の外食の時間と焼き肉の旨さに浸りながら、色んなものが混ざりきっていない空気感に不自然さを感じながらも、おじちゃんとおばちゃんの複雑ながらも前を向こうとしている姿、姿勢を目の当たりにし、再度「来て良かった」という思いを噛み締めました。



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焼き過ぎると美味しくなくなる、その一瞬を見逃してはいけない。



おばちゃんの言うように、常連さんと自分たち以外、お客さんは来ていない。その良く来ていたご夫婦は、元気にしているのだろうか。このご時世、恐怖とリスクを皆々が背負っていながらも、自分たちの経営だけでなく、それを楽しみにしていたお客さん一人ひとりにまで、気を配っている様子を見ていると、自分の作り上げた暗闇は何だったのか。優劣や上下でなく、横のつながりこそが今こそ考えることであり必要なものなのかもしれないと、肉汁溢れる肉がロースだったかカルビだったか忘れるほどだった。




つなぐもの



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今まであったもの、今あるもの。


焼き肉の味は、以前と変わらず旨いの一言だった。他の焼き肉店など比ではないほど、柔らかく、適度な弾力とジューシーさ。ビールでもご飯でもクッパでも合う、万能な絶品肉。そんな肉を出してくれるお店が、徒歩数分の近所にある老夫婦のやっている焼き肉屋。

他人に教える気は全くないが、自慢だけはしたい気になる、そんな特別なお店。

毎日のように顔を出す常連さんの日常であり、憩いの場。時には独り身の寂しさを紛らわす時間にもなる。もしかしたら、そのひとときが至福のときなのかもしれない。

近所の道端で見かける姿にホッとする一面もあれば、しばらく見かけなくなった様子に心を配ることもある。



言葉をかけたくなる、その一言には労いと優しさが込められていて、目には見えないつながりを感じ取ることができる。



人と人の間に、たった数ミリの壁が作られ、メートルという距離を置かれ、徹底した衛生管理のもと立ち合いを許される。



言葉と言葉をフィルターで通す世の中になったとしても、今まで目の前にあったものは、消えてなくなったのではなく、目に映っていないだけで、相手に伝える、伝わることのできる音として、温度として、気持ちとして、自分は受け止めていかなければならないと感じた。



それは、

人と人をつなげる、大切で大事な方法だと確信して。




そして、



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行きつけの居酒屋のおばちゃんがプレゼントしてくれたボトル。


自粛で忘れていたものを、取り戻しに行くこと。そこから気付く何かを糧に、正しく恐れ、行動することが、少しでも大事なものがこれからも在り続けることのできるつながりとなってくれればと、願うばかりです。





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