ふづきです。
不思議なもので、暑い日が終わり涼しさの心地良さを通り越すと、人の肌は温度に馴れきれず「寒さ」となって感じます。夏が終わり1ヵ月程で、倉庫にしまい込んだストーブを出したくなる。秋というのはこれほど寒かったものか、と。思い起こすと毎年のように繰り返しているのは、季節だけでなく、このような戯言も同じようです。
そんな冷えたように感じる身体をお湯に浸すと、これまた適温なはずなのに熱湯のような反射をしてしまう。ああ、また温泉が恋しくなる季節がやってきたのだなと。
嫁と交わす会話の中には、温まるワードが増えてくる気配を感じます。
はじめに
<2020年9月初旬>
妙高高原温泉郷のひとつ、『燕温泉』へ。嫁とぷちキャンカーを走らせやって来たわけですが、登山するにも良い気候となりまして。意外と山登りの格好をされた方々が男女問わずいらっしゃいました。夫婦で登山もいつかやってみたいなと、思いだけは一人前に背負っています。
上り坂多い温泉街には、趣感じる温泉宿や硫黄香る熱々な足湯、暑さ凌ぐ日陰でひと休みできるお食事処兼お土産屋。そこで売られている冷えた高原トマトは、あまり好きではない嫁の目にも美味しそうと映るほど。その土地の産物は、そこの魅力を存分に蓄えているに違いありません。
ひと休みを終えて10分…いやもっと歩いた先にありました『黄金の湯』。看板に書かれた約3分の対象は、どうやら自分たちの足とは違う方々のようでした。その『黄金の湯』の先に目的の混浴野天風呂『河原の湯』があると思っていたのですが…。おかげさまで山歩きを楽しむことになりました。
山を歩く
この案内板を見てすぐ、黄金の湯の先に河原の湯があると思い込んでいました。パッと見、同じ道の先にあるように見えてしまっていたのです。思い込みって、怖いですね。何の迷いもありませんでしたから。
この分岐の看板を見ても、「黄金の湯の先にある」と、嫁のさつきに断言していた自分がいました。余計に歩かせてしまいごめんなさい。
黄金の湯を満喫し、さあ目的の河原の湯へ!
と意気込み歩き出します。
山の方へ向かう急な上り坂(左)と、川沿いの方向へ続く上り坂(右)の分岐に当たりますが、看板はありません。
ふづき「どっちだろうか…」
さつき「川がこっちだから、こっち(右)にしよう!」
河原の湯という名前なので、川のある方向を選びます。
山ノ神と惣滝
ここはどこだろうか?
何かが祀られているが…、ここも草を掻き分けたような獣道の左と、崖へと向かう右との分岐。
とりあえず、右へと進む。
滝?どこ?
木々の合間から、遠くに水の流れ落ちる様子が窺える。
流れ落ちる音が耳を澄まさないと聴こえない位遠い。
確かに、全体が見えることは見えるが…惜しい。しかしながら、緑の青々した様子と、木々の合間となっていることで周りの木がフレームのように思え、カメラを使わずとも見える一枚の写真のよう。
これはこれで良い意味で面白い。
源泉?
山ノ神を左に進むことにする。
心配になりスマホのナビに頼るも、肝心のルートが示されず。方角はこっちのほう位しか分からず…。先ほど熊鈴を鳴らしながら下山してきた登山客がいたが、自分たちはあからさまに温泉客。
熊と出逢わないことだけを祈る。
こっちでいいのだろうか…。
不安を煽るような道が続く。
その矢先に、不自然に置かれているブルーシートを見つける。
もしかして、これは源泉?
嫁のさつきが目もくれず通り過ぎるところを、ひとり、しゃがんでじっくり眺める。絶対、これは、源泉だ。この位置からして黄金の湯かもしれない。ここがどこかわからないけど、これはこれでスゴイ!貴重で新鮮なお湯を拝めることが出来ました!源泉かどうかは定かではないけれど、ここから湧いて出ていることは確か。硫黄臭漂う、濃厚な白濁のお湯に触れられただけで、足取りが少し軽くなったような気がしました。
この先は「妙高山」という看板を目の当たりにしたので、足早に最初の分岐点まで戻ることにしたのでした。
始めの分岐点を右へ…
初めからこちらの道を進んでいれば良かった。
白く塗りつぶされていたのはなぜだろうか?
河原ではなく川原の湯と表記されていたのも気になる…。
色々な疑問を抱えながらも歩き続ける。
延々と、同じような砂利の道を歩く。
さぞかし気持ち良い温泉に入れるだろうなと、前向きに考えながら歩いていると…
ふと足元に何かが落ちていることに気付く。
硫黄?
黄金の湯も河原の湯も硫黄泉と聞いているが、この山にもやはり硫黄が存在するんだなと。源泉(かもしれないもの)と、硫黄(かもしれないもの)と。ワクワクさせるものが増えてきました♪
目印の妙仙橋
案内板で見た地図上では、妙仙橋という橋の先に『河原の湯』があるはず。
しかし…、
橋から見渡しても青々とした木々と川しか見当たらず。
この先は通行止めか…。ん?
左へ行くと河原の湯?
左は道がありませんが…どういうこと?
ほうほう、こういうパターンですか…。
分岐点の標識には約10分と書かれていましたが、その倍くらいはすでに歩いています。走り抜けろということでしょうか。やはり野天風呂は一筋縄ではいきませんね。
河原の湯へ
ふづき「いやー、長かったね」
さつき「日が暮れる前に着きそうで良かったね!」
ホントこれ。
日が暮れたら温泉客の自分たちには真っ暗闇の中を歩く術も、森のくまさんと対峙する術もありませんから。知っていれば、念入りに準備してきたのですが、まさかこれほど歩くとは思っていませんでした。
あれは、もしや…
※男性の後ろ姿(背中)が映り込んでいた為、一部加工してあります。
先にお伝えしますが、残念ながら浴槽やお湯の写真は用意できませんでした。
なぜならば、先客男性2名いらっしゃり、主と思われるおやっさんが強面だったもので…。
端っこで嫁とふたりで静かに入らせて頂きました。
野天風呂と言うだけあり、道から丸見えです。木造の小屋は、男女別の脱衣所となっています。脱衣所のドアはいわゆる漫画喫茶のようなもので、完全個室ではありません。女性の方は、嫌な方は嫌かもしれませんね。水着や湯あみ着可能なので、嫁のさつきは水着を着て入らせてもらいました。男性の方が気を遣ってくれていたので、夫としても安心して入ることが出来ました。
湯船は8人位入れる広さ。川沿いの岩で作られたTHE野天風呂です。川のせせらぎを聴きながら、また眺めながら、吹き下ろす風がこの季節にしてはだいぶ涼しいもの。お湯は黄金の湯同様に綺麗な乳白色の柔らかい湯触り。開放的で風も吹いているためか、そこまで硫黄や他の匂いは強く感じませんでしたが、このロケーションと野天感は黄金の湯以上のものを感じます。野天よりも秘湯と言った方が近いかもしれません。こんな奥まった場所に、わざわざ足を運んで入る理由があるでしょうか?…あるんです。
1時間くらい浸かっていたでしょうか。
誰一人、お湯から出ようとする人はいませんでした。そのくらい良いお湯ということ。そして、そこまで熱くない(体感40℃位。源泉付近はそれより少し高い)ということ。お湯から出ている部分に風が吹きつけると寒いくらい。源泉がドボドボと流れ出ている音と、どこからか聴こえてくる鳥のさえずりに耳を傾けながら…ずっと入っていたくなるような、そんな温泉でした。
詳細はこちら
<河原の湯の詳細>
・利用時間 日の出から日没まで
・利用期間 夏季(6月上旬~11月上旬)※冬季休業
・定休日 要確認
・料金 無料
・浴槽 混浴野天風呂のみ
・泉質 硫黄泉(源泉かけ流し)
・補足 水着・湯あみ着可 洗い場やその他備品なし
<地図>
※出典:Googleマップ
<公式サイト>
燕温泉「黄金の湯」「河原の湯」|新潟の観光スポット|【公式】新潟県のおすすめ観光・旅行情報!にいがた観光ナビ
まとめ
温泉って、ホント奥が深い。
色々な温泉地やいわゆるスーパー銭湯、昔ながらの銭湯、地元の方々の憩いの場でもある共同浴場等々。同じ泉質、似たような造りや雰囲気はあったとしても、同じ温泉って本当にないんだなと。しみじみ感じました。
今回の燕温泉は、黄金の湯と河原の湯。どちらも野天風呂と、ありのままの自然と共にそこにあります。無料で提供されているということは、誰かが管理しているということ。それを絶対に忘れてはいけないと思います。こんなにも誰かの心を魅了して、どんなに遠くとも足を運びたいと思わせて、これだよこれと人の気持ちを満足させることが出来る温泉があり続けることは、本当の意味で無料で出来ることではありません。言い方を変えれば、誰でも出来ることではないと思います。温泉の魅力はお湯そのものだけでなく、その背景にある環境やそれを守る人たちの絶え間ない努力の姿、そのどれが欠けても、どれに比重が多くなりすぎても保てないもの。つまりは、人と自然と、バランスを取りながら共存していくことの大切さを、温泉を楽しみながらも常に感じる温かさだと思っています。
ツバメのもたらした温泉街とその野天風呂は、
秘湯と呼ぶに相応しい奥深さと、ありのままを当たり前のように維持・管理している地元とそれに携わる方々の気持ち、そのすべてを優しく見守る惣滝や妙高山などの自然界が織り成すある種の芸術品のようで。見る人、訪れる人の心に温かい幸せをもたらしてくれそうな、そんな気にさせてもらえる白い濁り湯の素晴らしいお湯でした。