ふづきです。
この時期を迎えると、
震災という苦い思い出が蘇る。
あれから10年…。
もうなのか。
まだなのか。
その当時、報道されていない地域での被害や状況を耳にし、直接話を伺う機会があった。
液状化という土地そのものの地盤を揺るがし、まるで波打つ水面のような地面に事の重大さを改めて知らされた。震源地や震度だけでは見えることのない恐怖。津波なんかに比べたら命あるだけマシなのかもしれない。兎にも角にも、生きていることの有難さ、尊さを感じざるを得ない。
復興の現実を8年経ったある日に目の当たりにしたものは、月日の儚さを感じてしまうような。何とも言葉にし難い姿だった。
けれども、普段見るそれは穏やかで美しい海。
心をも満たす幸を提供できるのは、やはりあの豊かな海があるおかげであって…。
人情味のある熱いお湯に入れるのも、
自然という母体に育まれたその土地柄ならではだったり…。
思い入れがあり、
夫婦ふたりとも好きな地域でもある東北。
元の通りに戻るにはまだまだ足りないものばかりかもしれない。
何かできるというわけでもないけれども、
この足で向かいたい。そんな思いに駆られる。
強烈だけれども、
繊細な記憶と今を結ぶ。3.11。
はじめに
<2020年12月>
重苦しい前置きになってしまいましたが…、
処は東北からだいぶ距離のある九州の鹿児島。
震災という言葉は、
記憶に新しいある場所を思い出させました。
初めて目の前に見た時には、
「え…?」
と、状況の理解が出来ませんでした。
何故そうなっているのか、意味を理解する時間が必要なほど。単純に「そうなんだ」と飲み込むには、固く大きすぎて、自分の柔い歯では咀嚼するのが困難な状態。普通とは何なのか、今でさえ綴りながら考えてしまいます。
事の前には…
井戸水が沸騰、海水が変色し魚の大量死、
大きな地震が頻繁にあったと云われています。
それは桜島の大噴火がもたらした産物。
『黒神埋没鳥居』
桜島港からバスで
写真の右側にある小さい案内板には、桜島内の観光スポットが載せられています。この写真からは見づらいですが、島の左端がおおよその現在地(桜島港フェリーターミナル)だとして、右端がこれから向かう目的地となります。ちなみに、その中間地点(真上辺り)が、前回記事の白浜温泉センターとなります。
桜島港から市営バスに乗り、
白浜温泉センターまでは約15分。
目的地近くの黒神中学校前までは約45分となります。
島内をバスで走っていると、時折見かけるシェルターのような建物。待合所にしては少し物騒な、けれどそれはここで暮らすには必要なもの。共に生きるということは、人も自然も同じようで。共に受容したり、時にはいがみ合ったり。否定するのではなく、一時的に受け流すこともひとつの術(すべ)なのでしょう。
黒神中学校前下車
広い砂利の駐車場と男女別のトイレ…。このコンビを見掛けると、嫁も自分も「車中泊が出来そう」と。咄嗟に思ってしまうのはある種の病ですね。
さておき、
黒神中学校前でバスを降り、ほんの数分歩くとそれはあります。看板にも表記されている通り、『黒神埋没鳥居』と。
実物を見る前に…
先ほど述べた前兆もさながら、マグニチュード7の地震と共に桜島の大噴火。桜島と大隅半島が陸続きになるほどの猛威を振るったそう。その写真が、息を呑むような当時の様子を物語っています。1日で2mもの軽石や火山灰が積もるなんて、先日の新潟での災害級の大雪でも恐怖を感じましたが…。自然の力の凄まじさを、いつ起きても備えだけはしておかないとと。震災は、過去のものではないことを改めて感じさせられました。
黒神埋没鳥居
バス停から道路沿いを歩き、看板に示された先を望むとそれはありました。初めは、それが何か良く分からず、「この先にあるのかな」くらいな気持ちでいましたから。それがそれ(埋没鳥居)だと気付くのに、しばしの時間が必要でした。
余談ですが…。
この写真に写っている先客の女性の方は、この後、別で一人で来ていた男性と意気投合し、帰りのバスでも旅の話で盛り上がっていた様子。旅がもたらしてくれるものは、ただの「楽しかった」という満足感だけでなく、その場所その地域特有の知的好奇心、予想だにしないことへの対応力、普段と異なる環境での適応力を養ってくれるだけでもなく、このような同じ目的や趣味を通しての「仲間」を見つけることにも繋がるのかもしれませんね!
いきなりこれを見せつけられたら、
「ああ、鳥居だね」
と言える自信が自分にはありません。
何がどうなってこうなったのか。
あの説明書きを読み直して、再びこれを見て、それでもこの位置に頭がある意味が良く理解できなくて。隣に生えている明らかに昔からありそうな木が、その上から生えているために。「これが、埋没鳥居」と、上手く消化できるまで歩きながらずっと考えていました。
埋没鳥居とアコウの木
裏手に回ると、鳥居の横には立派な御神木のようにも見える木が自生している。木には名札が付けられていて、「アコウ」「クワ科イチジク属」と書かれている。調べてみると、観葉植物や沖縄で知られている「ガジュマル」と同じ種類のようで、他の植物や岩などに巻き付いて成長するため、別名「絞め殺しの木」とも呼ばれているそう。いやはや、知らなくて良い情報まで入ってきましたが…。
鳥居と共に月日を過ごしてきたのか、埋もれてから根を張り見守って来たのか。どちらにせよ、共に寄り添って今を生きているように見えてなりません。
守るべきもの
黒神中学校から直接ここへ出入り出来るようになっているよう。教育の一環として学校がここに造られたのか。何かの意図があってこの配置になっているようですが、防犯の面として不安を感じてしまいます。きっと、何を最優先にするのかを考えた時、噴火による避難経路として必要だと判断するならば、確かにその方が現実的なのかもしれません。先ほどの黒神防災新聞にあった、避難3原則。①想定にとらわれるな、②最善を尽くせ、③率先避難者たれ。何が大事か、改めて考えさせられますよね。金銭よりも何よりも…、守らなきゃいけないものが確かにあることを。
社殿
黒神中学校を横目に先へ進むと、奥手に何かが祀られている社殿が待ち受ける。
コンクリートの汚れ具合から、埋没鳥居やアコウの木と共に、黒神中学校の生徒や島民を静かに見守ってきたのだろうなと想像できる。何をお願いするわけでもないけれど、縁も所縁もないけれども、この島に住む人たちがこれからも普段のような日常を送ることができ、自分たちのような旅人がふらっと気軽に立ち寄れるような場所であり続けて欲しいなと、そう願ってしまう。
おわりに
桜島に来たからには行ってみたいと、
嫁のさつきと決めた『黒神埋没鳥居』。
観光で来るにはだいぶ物足りなく、辺鄙なところにあるのは否めない。興味を持たれなければ、入り口から埋まった鳥居を眺めて、写真を撮って通り過ぎられてもおかしくない場所かもしれない。翌々考えてみても、そういう人の方が多いのだろうなと思ってしまう。
自分は、元々歴史に興味を持っているわけでも地理が好きなわけでもない。神社めぐりが趣味でもない(嫁は御朱印集めを趣味としているが…)。けれども、この場所に足を運び、他の場所をめぐる時よりも、沢山の時間を考える時間に割いた気がする。
何故だろう。あれから数ヵ月経った今でも、鮮明にそのことを覚えている。
人の手によって、そこに人々が住む温泉街があった場所がダムの底に沈んでしまった前後を見たことがある。そこには、無念さも確かにあったことだと思う。その中にも、希望の光を求める声もあったことも事実だと思う。けれど、それとは違う。震災という不可抗力によって全てが失われてしまった現実を目の当たりにすると、人は何を思うのか。絶望と希望の狭間で、何を想うのか。生きる意味とは何なのか。
この噴火により埋もれた鳥居を見ると、
どんな景色を見てきたのだろうなと、想像を寄せて見たくなる。決してこんな自分が許容出来るような代物ではないことは確かだが、震災前のその目の前に見えるものはどんな色をしていたのだろうと。灰のようなグレーではなく、白に近い明るい色だったんじゃないかと。
旅をすることで、感じることが増え、考えさせられる時が多くなり、嫁のさつきから教えられた「自分らしく生きる」意味を何となく分かってきた気がする。
震災と過去とこれから。
起こらなくても良いこと、むしろ起こらない方が良いことだろうけど、もしかしたらその先の方が明るい色に出逢えるのかもしれない。