ふづきです。
言葉で気持ちを伝えると、相手に想いが伝わる。
嬉しかったり悲しかったり、幸せになったり寂しくなったり。
お互いに相手のためを想う気持ち、ただそれだけを伝えたかっただけなのに、その言葉は相手にとっては鋭利な刃物のようなものだったりする。
ストレートに気持ちを伝えるのが怖くて、ずっとオブラートに包んで遠回しに伝えて来た。
長々と想いらしい想いを言葉にし、それらしい流れで、結論と理由の説明を添えて伝えた。
伝わったはず。伝わった気でいた。…でも、何も伝わってなかった。
何が言いたいのか、本当に伝えたいところはどこなのか、結局何の話なの?…と。
想いに費やした気持ちは、自己満に過ぎなかった。
嫁のさつきと出逢い、まるで空手の正拳突きのような、まっすぐの気持ちに、想いに、言葉に教えられた。
伝えたいものが伝わらなければ意味がないと。
善いか悪いかじゃなく、はっきり言わなきゃ、相手がわからなきゃ意味がないと。
“確かにその通りだ”
あれから十数年、いくらかストレートに気持ちを言えるようにはなってきたつもりだが、ストレートだからこそはっきりとわかる違いが、二人の邪魔をする。
そう、
“すれ違い”
お互いの想いが飛び交うなか、相手のためを想っているはずなのに、噛み合わない現象が生じる。
冷静に考えても、自分の主張に相手を傷つけるような言葉は見当たらない。むしろ、相手を想った言葉だとわかる。
それは自分だけではなく、相手も同様。
なのに、
“違う”
なぜ伝わらない?
「何でわからないの?」
「知らない」
「噛み合ってないから」
一気に不穏な空気が流れ始める。
大概、何事もない日常から、時にはお互いに嬉しい気持ちにあるときに、突如襲いかかる理不尽さ。
そんなときに限って、傍に、近くにいることができない状況だったりする。
どうにか噛み合うように、歯車を合わせようとすればするほど、酷くなる歪み。
「一緒にいられないから」
「勝手にすれば」
怒号が飛び交う最悪な結末に陥る。
なぜだろう、相手のことが嫌いで憎むなら、そんな状況になるのは理解できるが、お互いに相手を思ってのことから、そんな事態に発展するなんて、しかも、もがけばもがくほど絡まる糸のように。
“このままじゃいけない”
“だけど、どうすれば?”
自問自答するが、明確な答えは見つからず、相手にとったら鋭利な刃物のような言葉を、とにかく鞘に納め、まっすぐな想いをひたすらに伝える努力をする。
このようなことが、しばしば…、そこそこあったりする。
したくもない喧嘩や口論は、いつもすれ違いや噛み合わない話から起こる。
ホント、理不尽なことだと思う。
けれども、
理不尽なんかに、かき消されてはならない。
お互いの想いを、ずっと、ずっと、お互いに胸に抱いて、時にはしっかりと確かめ合うことの大切さを、絶対に忘れてはいけない。
ここに、ふづきとさつきがいる証があるのだから。