ふづきです。
自分は人とうまく関わることができず、知らず知らずに迷惑をかけることがあります。
以前にも書いたことがありますが、ある記憶だけがスッポリ抜け落ちてしまい、違う記憶と結び付き、自分の中ではしっかりと憶えている、という認識を持つことがあります。
その事で話をしたときに全く違うことを言われて、「何を言ってるの?」「自分はちゃんと憶えてるから言ってるんだよ!」と、自分の中では間違いのない事実として話をしているけれども、端から見ると、何を言ってるの?そんなことしたことないよ。という、まるで別世界の会話をしているようなことがあります。
・記憶の色が濃い小学校時代
自分一人では、気付く余地もない事実でしたが、幼い頃(自覚を持ち始めた小学校時代)から周りのクラスメイトの少し距離を置いた反応や、いじめの対象とされたり、いじめてもない人からいじめられたと言われて先生から呼び出され、反省文を書かされたことがあり(いじめた事実が自分の中にはないので、数時間も反省文が書けず、先生からは「いい加減に認めたらどうだ」と説教をされることもあり)、自分は『周りの人たちとは違う人間なんだ』『自分は頭がおかしいんだ』と思い始めました。
当時、クラスメイト一人一人から、卒業を期に書いてもらったコメントがほとんど同じ内容で、頭に残っています。
『不思議な人』
『よく分からない人』
実際、一日学校で過ごして、一言も誰とも言葉を交わさなかった日が多くありましたから。数年間一緒に過ごした人たちから、そう思われても仕方のないことだったのかもしれません。
自分が友達と思っていた人がいて、来期も同じクラスになりたいと紙に書いて提出したら、その友達は、違うクラスになりたい人で自分の名前を書いていたときは、結構ショックでしたね。
・中学、高校時代
部活に明け暮れていました。
自分の中では好きでやっていました。うまいか下手かで言えば、今思えば下手だったんだろうと思います。いくら頑張ってもうまくなれませんでした。
ただ、足だけは速かったと思っています。真っ直ぐ走ることだけは。
勉強も、それなりにできていました。ちょうど平均値辺りです。それが、この性格というか、症状を気付かせるのを遅らせた一番の原因だと思っています。
・大学時代
やりたいこともわからず、ただ、人並みに勉強できたので、親に進学させてもらいました。親に負担を掛けてしまったことは今でも反省していますし、感謝もしています。
人間関係でトラブルを起こし、警察沙汰になったこともあります。
ここて初めて、自分の欠落している部分に気付きます。
人間関係の問題だけでなく、
憶えることができなかったのです。
今まで勉強ができたはず、なのに、全く憶えることができなくなったのです。
すべてのことで憶えることができない、と言うわけではなく、特定の物事に関しては全く憶えることが出来なくなっていました。
特定のものがなんなのかは、未だにわかっていませんが、数学が得意だった(と思っていた)自分が、方程式や解き方を全く憶えることができずに、赤点ばかりになりました。その時間が恐怖で、その時間になるとなぜか鼻血が出ていました。それも毎回。体が拒絶反応をしてるかのように。
・社会人としての苦悩と決心
誰しもが苦労する就職活動を、自分は全くやっていません。なりたい仕事もわからず、やりたいこともなく、就活のやり方もわからず。
たまたま見つけた募集に応募して、特に理由もなく、受かってしばらくその仕事に就いて、天職だと思った矢先に、続けることが苦になり辞めました。
それからも、やってみては一瞬は「この仕事なら!」と思うも、男なら一つの仕事を長く続けるものだと教えられてきたのがプレッシャーとなり、数ヶ月~一年程度勤めては辞めての繰り返し。
仕事内容が嫌で辞めているのではなく、職場の環境や人間関係に馴染めず、極度のストレスで耐えきれず体を壊したり、食事が摂れなくなったりで辞めているのがほとんど。
「なぜ自分は仕事を続けることができないのかな」
「自分が悪いのかな」
と、自己嫌悪に陥る毎日。
そんな最中、嫁のさつきと出逢いました。
相談をすると、
「好きなものやればいいじゃん!」
「辞めたって良いじゃん!何事も経験だよ!」
思いも寄らなかった返答に驚きます。
その反面、そんな経験積んだって、何にもプラスにならないとも思いました。ポジティブには考えられなくなっていました。
けれども、
嫁のさつきを幸せにできるのは、自分しかいない。
その一心に揺らぎはありませんでした。
今もその気持ちには変わりありません。
どんな状況でも前向きに、時に支えてくれ、時に背中を押してくれる嫁を、何としても支えていかなければならないと心に決め、今、一大決心を決めたんです。
・そして、今…
一般企業で働くことを辞めました。
それは『諦め』ではなく『始まり』です。
努力すればなんとかなる、我慢すれば乗り越えればきっといいことがある、何て言葉は、捉えよう、考えようなのかなと思います。
人には『適材適所』があり、それを決めるのは企業でも上司でもなく、自分なんだと思います。
生きるのが辛い世の中を嘆くのではなく、嫁の言葉を借りれば『自分が生きたいように生きればいい』んだと思います。
辛くて死にたいと思ったことは、今まで数えきれないほどあります。
自分が生きていたって誰のためにもならないと、悲観的に思っていたこともありました。
けれど、嫁から言わせれば
だから、何?
そう言ったら何か変わるの?良くなるの?
そんなの自分次第じゃないの?
環境のせい、人のせいって、責任逃れするくらいなら、
自分の思ったように生きたらいいんじゃないの!
なんです。
その通りだと思いました。
自分の欠点も弱さも、それを武器に振り回して、悲劇のヒーローとなり、世の中から逃げ切ろうとしていた自分を、やっと捕まえることができました。
そして、真正面から向き合うことができたんです。
だからこそ、さっきも言った
「一般企業で働くことを辞めました」
なんです。
嫁と話し合いをして、自分の生き方を伝え、自分らしい自分で大切な人を支えていきたいと思っています。
楽(らく)な仕事や生活なんてありませんし、それを望んではいません。
ですが、忙しくて大変でも、楽(たの)しい生活を送ることができればと、それを一番に考えているのです。
忘れてしまうこと(ど忘れや物忘れとは違う、スッポリ抜け落ちて、違う記憶と結び付いてしまうもの)、
環境に適応することや人間関係の構築が難しいこと(職場のみならず友人関係においても同様)、
暗記ができないこと(得意なもの不得意なものに限らず、何が憶えられないかは特定できず)、
欠点はあっても、それが自分なのだから、生きづらかったら生きやすいように生きていこう。
お金がなくても何とかなる!
そんな嫁のさつきに支えられて、今、自分なりに精一杯、嫁のさつきを支えて、新たな一歩を踏み出し始めています。
さつき、
ありがとね。
ふづき。