徒然たびたび夫婦旅

温泉、車中泊、プチ旅行…。夫婦ふたりで気ままにお出かけ日記♪

大切な人へ~後悔と感謝という言葉より~

今週のお題「大切な人へ」





ふづきです。



令和という年号を迎え入れてから、時は加速するかのように流れる。

いつしか、珍しいが当たり前となり、

違和感が一体感と変わっていく今の現状に、

自分という存在を見失う人たちは、

曇りガラスに心を覆ってしまっているのかもしれない。



ふと、

そんな戯言を思い浮かべながら、

油膜でギラギラしたフロントガラスを、

洗剤を吹きかけながら拭き上げている。



今思えば、

見えていたのは、

この胸に映っていた空模様だったのだろう。

…にしては、汚れすぎだ。






2月のバレンタインの季節。

嫁のさつきから

「チョコ、欲しい?」

と聞かれたので、

「チョコ、いらないよ」

と、答えた。



チョコが嫌いなわけではなく、むしろ甘いものは好きな方だ。

せっかくのお言葉を、粗末な言葉で返してしまったのは、申し訳なく思う。

理由は、ちゃんと説明して納得してもらった。



自分の性分で、これ以上負担をかけたくない。

それだけの理由であり、それ以上の理由でもなかった。



付き合って十数年、結婚してから一緒に新年号を迎え、

だらしない男から、頼れる夫へと変貌を遂げるはずだった。

その結果が、

チョコをいらないという、言葉一つにも表れることになった。






ギャンブル依存症だった自分は、

お金を水のように扱っていた。

当然、ダムは決壊し、

お金だけでなく、

人や信頼をも流されていった。





普通だと思っていた自分は、

社会の秩序やマナー、

仕事だからという括りに、

馴染むことが出来ず、

独り取り残されている感覚に陥っていった。





人間、誰でも平等。

なんて、クソくらいだと、

自暴自棄、世の中の不満を嘆いていた。





幼い頃から大切に育てられてきた。

片親で、

男手一つで、

大学にまで進学させてもらったこと。



こんな情けない息子でいたことを、

謝りたいという気持ちよりも、

片親であることを卑屈に思っていたことが、

一番の後悔だった。



どんなわがままも、怒りながらも優しく、

時には厳しく叩かれたりしたこともあったけれど、

そんなこんなの馬鹿息子に、

真似なんて出来たもんじゃないなと、

心底思う。



今の自分じゃ耐え切れないような迷惑や心配も、

父はふらつくことなく、しっかりと受け止めて支えてくれた。

授業参観、PTA、その他諸々の学校行事にも、

母親ばかりの居づらい環境にも、率先して来てくれた。

社会人になってからも、

寂しい思いをさせないようにと、仕送りをしてくれて、

お金には何一つ不自由しなかった。



思い起こすと、

ものすごく贅沢なことをさせてくれて、

その場を離れても、

父の手で、自分は守られてきたんだなと、

気付いたのは十数年後。



失う前に気付けたことは、

今でも思う、唯一の安堵感。






嫁のさつきと出会ってから、

女性トラブルやギャンブル三昧だった自分が、

漠然と馬鹿だった、のではなく、

本当に馬鹿だったと気付いた。

そして、問題行動の原因が、

自分のなかにあることにも気付かされた。



ある記憶が、別の記憶と結びついてしまう、

特定の記憶が極端にできない。

人とのコミュニケーションが苦手というより、

間違った解釈をして誤解や問題を招くことが多い。

人前を極端に嫌う。極度のあがり症。

こだわりが強く、

一度やりだしたら終わるまで辞めることが出来ない。

人間関係の構築が困難で、

仕事環境が苦痛で体調を崩す。等々…。





何も持っていなかった自分は、

嫁のことを誰よりも想っている、その想い一つで、

さつきはその想いを受け止めてくれた。






まとまらない思いは、

具体的でもなくて、

何が言いたいのかすら伝わらないのかもしれない。



前は、

そんな自分がとても嫌いだった。

誰からも慕われない、

誰からも好かれない、

そんな自分が大嫌いだった。



けれど、

今は違う。



家では酒飲んでストレス発散している、

大声で罵るような、こんな父親にはなりたくないと思っていた父に、

どんなわがままも聞いてくれて、

片親で大変なはずなのに、

「勉強頑張るならならどこでもいい」

と、進学させてくれて、

社会人になってからも、経済的にも精神面でも、

どんなときでも陰ながら支えてくれた。

その優しさに気付けて良かった。本当にそう思う。

理想の父親…なんだなと、思う。





馬鹿やってた自分を、

受け止めてくれた嫁のさつき、

おかげで自分をしっかりと向き合うことが出来た。

そんな今、

こんな自分で良かったなと、

大切な人に支えられて生きているんだなと、

後悔よりも、幾分前を向いて世界が広いことに気付いた気がする。





人の優しさや、有り難さ、大切さに気付くと、

自分のちっぽけさを見ることになる。

自分のありのままの姿に、

しっかりと向き合うと、

人って、本当に変われるものなんだなと、

戯言のような本当の話になる。

馬鹿から少しまともな人間になれたかなと思う。





リアのガラスを綺麗に拭き終える頃、

陽射しは西日に変わり、

風が冷たく感じるようになった。



運転席のドアを閉め、

ポケットにカギと両手を潜り込ませると、

足早に、点滅する信号を駆け抜け、

待っている大切な人のもとへ…。



後悔と感謝という、

まとまることのない、

けれど、

大切な言葉を握りしめて。








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