ふづきです。
「ここは、島だっけ?」
そう思わせるような街の空気が、自分たちを迎え入れたことに違和感を覚える。
佐渡島。そこは、名は有名で、『金山』や『トキ』というキーワードが出ると、連想される場所でもある。学生時代に、クラスの仲間たちと新潟港から両津港までカヌーで渡ったことを思い起こすが、正直、佐渡金山以外に印象に残っているようなものはなかった。
なぜだろう、そこまで魅力的な何かを感じたわけではないが、また「行ってみたい」と思わせた。前回足を踏み入れてから十数年、今ならわかるとでも感じたのだろうか。
夏の終わりの9月末、嫁のさつきと旅の話題に花が咲き、すぐさま準備に取り掛かる。自分たちは、車旅が好きな夫婦で、全国津々浦々、車中泊をしながらよく温泉旅へ出かけることがある。その目的地として、今回の舞台が佐渡島となったのだ。
「温泉があったらいいな」くらいな、淡い期待のみ。自家用車を載せ、嫁と車と共に島へ旅ができることに一番の楽しみを抱いていた。島というと、車を置いてフェリーまたは飛行機で渡り、現地を公共機関や自転車等で周ることしか想像できなかったからだ。
しかし…、想像と期待は、時間と共に裏切られ、経過と共に色濃く染められていった。
佐渡島には、4泊5日の車中泊旅をして、ガイドブックに載っているような観光名所をたくさん巡った。
かの有名な佐渡金山、佐渡おけさに登場する春日崎の石灯篭、佐渡の経済を築いた宿根木の町並み、今や観光の目玉になっているはんぎり(たらい船)、春駒や鬼太鼓といった伝統芸能は日本屈指の数を誇り、佐渡を中心に活動する太鼓芸能集団『鼓童』は世界で羽ばたいている。
それだけではない。
世にはあまり知られていない、「あったらいいな」だったものが、存在していたのだ。
名も知れず温泉の島だった。
当時(2019年)で20ヵ所程の日帰り温泉施設があり、海の近くに多く見られる泉質の塩化物泉以外に、日本でも数少ないモール泉が湧いているとは、驚きだ。
連日、車を走らせ、海沿いの周遊道路をさざ波のBGMと、そこにアクセントを加える海からの強風に煽られながら、巡りに巡った。
今、時は何時を指し、カレンダーは何枚日捲りをしたか忘れるほど、夢中だった。
何がそこまで自分たちを虜にさせたのか、その答えは明白だった。
普段、自分たちは仕事をし、朝起きてから寝るまで、時計や業務、職場や家などの括りに縛られて生きている。それは、今の自分たちだけでなく、世の中全般に言えることだろう。
この島には、一見、普段と変わらないような観光施設や、住宅街、商業施設が整っている。そのため、「ここは、島だっけ?」という感覚に陥る。不便がないようにも見える。
それは、島の一角だけであり、車を小一時間走らせると、コンビニや店など一つも見当たらない自然と一体化した農村地帯が広がる。町一帯が文化財のような地域も見られる。一つの島で、いろんな国を跨いだような気分にさせられるのだ。
日の入りを迎える海岸線には、日常で見るような当たり前はなく、まるで加工されたポストカードのような夕日が望め、夜明けには、昔ばなしでも表現できないような山合からの日の出を浴びることができる。
テレビやイヤホンから聞こえるような雑音ではなく、目と耳で感じる音がそこにはあり、目に悪影響のあるブルーライトとは何ぞやと言わんばかりの、陽射しに照らされて碧く輝く明かりを目と身体中に取り込む。
余計なものなんていらない。雑味のない旨味とは、このことを言うのだと、この佐渡の島で気付かされた。
観光で来るなら、もしかしたら物足りないのかもしれない。
ここで生まれた若者は、世界を知りたくて島を出ていくのかもしれない。
しかし、この島には、普段の日常で失った時間や景色があって、自分たちに欠けていた栄養素のような自然というサプリメントがあって、不器用で不自然に無理をして生きてきた自分には、本当の姿を見せられる場所が、ここにはあるのだと、そう感じた。
何でもあるけれど、何にもいらない島、佐渡島。
社会と自然が融和した島に、自分たちは住みたいと心に誓った。
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